私たちの生活は効率的に作られている、あるいはそのようにとらえる・解釈するということ

生活スタイル
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すっごくつまんない話をします。

私たちの生活は、とても効率的な形に作られている、ということに気づいたことがありました。

 

子どもたちとピンポンを楽しみました。その後、公園に遊びに行きました。

帰宅して靴下を脱いだら、靴下の糸くずが足の指にびっちり着いてました。
で、風呂で、足を洗おうとしたのですが、よく考えたら、風呂掃除も必要。

 

そうか、そのまま風呂掃除をして、その後、足を洗えばいい。

で、掃除を始めました。が、その最中に、足に水はたくさんかかります。
風呂の床を歩いている間に、自然に糸くずは取れ、足は清潔になります。

そうなんです、風呂掃除が、足洗いも兼ねていたのです。

 

 

例えば、もう一つ。

毎朝のひげそり。
電気シェーバーでひげを剃りますが、洗面台に少量のひげが落ちます。

その後、歯磨きをし、洗顔をしますので、洗面台に水がながれ、ひげは流れています。

何が言いたいか、というと、洗面台に落ちたひげをわざわざ洗い流す必要はなく、その後の行動で完了するのです。

 

 

 

私たちの生活は効率的な形になっている

 

 

私たちの生活は、動物の時代から古代、そして現代に至るまでの間に、様々に工夫、改善され、形作られていることを感じます。

それは意図的に行われた工夫かもしれないし、知らないうちに軌道修正された改善かもしれません。

自分たちの生活の一つ一つの行動を、距離を置いて見たり、あるいは違う角度から見たりすると、とても有意義な発見があります。

 

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