今日は、興味深いことが起きた1日でした。
半日程度、職場のパソコンが使えない状態となりました。私のだけではなく、職場全体、いや会社全体のパソコンがダウンしたんです。
そのパソコンは、ディスクレスです。データの保存だけではなく、OSを作動させるための領域もありません。ネットに接続しないとOSが作動しないし、ソフトも動かないんです。
OSを内蔵しているPCもなくはないのですが、特定の用途にのみ使用しており、ネットにつながっていません。
つまりは、お手上げ状態なのでした。
開店休業状態
ひらたくいえば「開店休業」です。いやほんと、文字どおりの開店休業。
特に私は内勤なので、全く手出しができません。営業など、パソコンに依存しない仕事をしている外勤者とはまだ事情が異なります。
ディスクレスになる前、OSやソフトが動くPCだったら、資料を作成するなどのことが最低限できてました。ディスクレスになると、それさえもできません。んー、もどかしい。
私を含む、事務所内勤の数十人、ほぼみんなが、紙の資料の整理をして廃棄にするとか、備品などの片付けなどをしてました。それくらいしかやることないんだもんね。そういう意味では、普段できない整理整頓が格段に進みました。
PC依存から離れることの効用
一昨日、Facebookが、短時間だけど接続不能になったらしいですね。
「二度と復旧するな。これで俺の平穏な生活が保たれる」「フェイスブックはダウンした。現実世界で暮らしなさい」などと、“FB依存症”からの解放を喜ぶコメントも
Yahooより
などという反響があったそうです。Facebookが平穏な生活を邪魔している、そういうことも感じている人がいたんですね。
それはそうと、こちらはどうだったんでしょうか。公式サイトをFacebookに移していた佐賀県武雄市。
武雄市民には申し訳ないけど、私は武雄市民じゃなくてよかった。だって、Facebookの不能により、行政サービスが滞ったわけでしょ。
FBに頼らないサイトへの誘導もあるとはいえ、公共サービスの民間企業での運営に不安を感じた人は私だけじゃないでしょう。(これは当初から予想されていたことですが。)
結局、学んだこと
ふるーい手書きの書類の整理や、電話でのやりとりだけがコミュニケーションの手段だった今日。手書き時代の文書を読むと、文章の上手下手(ほぼ、私に比較すれば上手なものしかないわけだけど)はもちろん、文字に込められるエネルギーも感じます。電話の言葉も、自分が発する言葉が否が応でも自分の耳に届く(普段はPCに目がいってることが多いので、自分の言葉に集中できていない)ので、支離滅裂な話し言葉に反省するのです。
普段はキーボードで文字を入力し、Wordで文書を書いたり、メールを送ったり。そんな手段で何らかの意思を伝えている、受け止めている毎日だったものが、もしかしたら薄っぺらいコミュニケーションしかできていなかったのでは? 自分の伝えたい言葉が、相手にちゃんと届くものになっていたのか。
「キーボードを叩いてるだけで仕事した気になるな!」とのたまう、おっさん社員がいますよね。せからしか!と以前は思ってましたけど、でも、今日はその言葉に納得でした。
えっ、お前自身がおっさんや無いか?って。そうです。私が、うるさいおっさんです。
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