我ながら、えらくたいそうなタイトルをつけたものだ。
だけど、話の内容自体は簡単な話だし、「お前そんなこともわかってなかったのか」と怒られる程度の話だ、と思う。
そんなくだらない話だが、自分の備忘録として、書き留めておきたいと思う。
私は、プライベートで、ノートパソコンとしては2つを使用している。
1つは、MacBook Pro、もう1つはMacBook Airだ。
どちらも最新ではないが、十分に能力があるマシンだ。
この2つのマシンの対比を通じて、自分、世界の将来を考え始めたことから、今回の記事となった。
MacBook Airは、ご存じのとおり、世界で最も薄いコンピュータ。
たたんだ状態を真横から見ると、まるで、ナイフのように、手元の側が鋭角だ。
ものが切れるのではないか、と思えるほど。
それほどに薄い、ということ。
ここまで薄くすると、様々な制約が伴う。
いや、制約というより、Appleがきっと考えて行った、機能の削減だ。
具体的には、
●DVDドライブがない
●SDカードスロットもない。もちろん、メモリースティックもない
●LANケーブルの差し込み口もない
拡張性を持つ要素として存在するのは、USBの差し込み口2つだけ。
あとは、ディスプレイの接続口のみ。
DVDが無い、となると、音楽CDを聴くことができない。映画のDVDを観賞することができない。
DVDで供給されるソフトウェアもインストールできない。
一体どうするのか。
空中を経由させるのだ。
最新のOS、OSX(10.7) LIONでは、App Storeを組み込み、ネット上からアプリをインストールする仕組みにした。
iTunesで音楽や映画を購入する仕組みがすでに存在することについては、ここで繰り返す必要もない。
ましてや、OSのリストア、再インストールにも、最新のAirでは、本体内に、クラッシュしたときにでも復旧出来るディスクエリアを持たせ、メディアを使用せず再インストールができる。
(ちなみに私のAirは一世代前なので、USBのリストアディスクが添付されている)
もちろん、DVDドライブをUSBで接続すれば、DVD内蔵と同じノートブックの機能を持たせることができる。
でも、Appleはご存じのとおり、別売りにしている。
多分、私は買わない。
クラウドを使えば、ほぼ不要なのだ。
こんなふうに、Airは、無駄な機能をそぎ落とし、パーソナルコンピュータ本来の機能のみを残したマシンとして生まれた。
というか、そこまで進化し、またクラウドの環境も整ってきた。
この世界は、一体誰が造りだしたのか。
消費者が望んだものか、ジョブズ率いる天才集団か、あるいはGoogleか。
多分、消費者が望んだから生まれたものではない。
最初のAirが誕生した際、ブーイングを浴びた。
あまりにそれまでのノートブック、いや同じAppleのMacBookと比較しても、機能がそぎ落とされていたからだ。
何が言いたいか、というと、コンピュータ、音楽、映像。
クラウドのこの世界は、供給側、つまりメーカーから生み出されたものだ。
それがAppleかもしれないし、Googleかもしれない。
いずれにしても、消費者が生み出したものではない。
服飾についてはよく言われている。
「この冬に流行するファッションはこれだ!」
というテーマの服飾雑誌が出版されたとすれば、それは、出版社、あるいはその記事を書いた、まとめたファッションデザイナーが生んだものだ。
つまり、流行はファッションデザイナーから生まれる。
「これが流行るよ」と言われるから、その服を買う、その服が流行る。そんな図式。
消費者が望むものが流行になるわけではない。
大多数の消費者は、供給側の生み出すものを甘受するしかない。
それが便利で、安価であれば文句は無い。
でも、不便で高価で、しかも選択肢が無いとすれば、悲しい。
そんなとき、消費者は何をしたらいいのだろう。
供給側(簡単に言えば、メーカー)の生み出すものを変える必要があるのか。
幸せは誰が造り出すのか。
自分たちの手で作り出すことができるのか。
結局、まとまり、結論のある話を考え出すことはできなかった。
少なくとも現時点で。
私はAppleファンなので、Airの、外観的、機能的デザインは喜んで受け入れる。
その生活スタイルに浴することが幸せでもある。
でも、いつも、供給側から享受するサービスに甘えていてはいけない、という意志を持ちたい。
コメント