平成はあと3日、令和の故郷に行ってきて、歴史をちょっとばかり学んできた

万葉集、令和の典拠 福岡

あと数日で平成が終わり、令和に変わります。

新しい元号「令和」が生まれた故郷とも言える、太宰府に行ってきました。

歴史や文学が苦手だったわたしが、ちょっとばかし学んで、感じてきました。

 

 

 

1.大宰府(太宰府)

 

大宰府といっても広うござんす。

行ったのは、大宰府政庁跡と大宰府展示館です。

 

大宰府と太宰府の違い「大」と「太」
●大宰府:律令制下の役所を指す場合「大」を使う
●太宰府:現在の太宰府市、および太宰府天満宮の場合「太」を使う

 

大宰府(太宰府)というのは、今は地名で、太宰府天満宮でも有名ですが、もともとは役所でした。
7世紀後半から12世紀前半にかけて地方最大の役所。九州一帯の統治、対外交流の窓口、軍事防衛の拠点という重要な役割でした。

大宰府政庁跡というのは、その役所の跡地ですね。今は何もありません。

大宰府政庁跡

大宰府政庁跡

大宰府政庁跡

大宰府政庁跡から街の方向を望む

 

広い公園みたいな感じです。

 

 

2.令和の由来

 

新しい元号「令和」の典拠になったのは、万葉集です。

万葉集の「梅花の歌三十二首 序文」にある、

 

初春の月にして(しょしゅんのれいげつにして)

気淑く風ぎ(きよく かぜやわらぎ)

梅は鏡前の粉を披き(うめは きょうぜんのこをひらき)

蘭は珮後の香を薫ず(らんは はいごのこうをくんず)

 

から令と和を引用したものです。

難しい言葉が並びますので和訳します。

 

あたかも初春のよき月、気は麗らかにして風は穏やかだ。梅は鏡台の前のお白粉のような色に花開き、蘭草は腰につける匂袋のあとに従う香に薫っている。

 

「よき月」と「風は穏やか」が令和ということになりますね。

これを読んだ(作った)のは、「梅花の宴」を開催した大伴旅人です。

(万葉集を編んだのは、大伴旅人の息子・大伴家持と言われています。)

 

 

「梅花の歌」とは、大伴旅人の邸宅に大宰府や九州諸国の役人らを招いた宴で、人々によって読まれた歌集。その序文が上掲の序文ということになります。

 

その宴の様子が、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」日本に、という安倍首相の想いがのっています。

 

 

3.令和は国書由来ではない?(「梅花の宴」は、「曲水の宴」にならって開催された)

 

梅花の宴は、曲水の宴にならって開催されたと言われています。

曲水の宴とは、中国の書家・王羲之が開催したものです。

 

書家、王羲之のことは以前このブログでも取り上げました。史上最高の書家と言われている人物で、蘭亭で開催された歌集の序文を書いた「蘭亭序(蘭亭集序)」が人類の歴史史上最高の書道の傑作、と言われている話は以前の記事に任せるとして。

[sitecard subtitle=蘭亭序の記事はこちら url=https://www.macdigi.info/wang-xizhi/ target=]

 

この曲水の宴、いろいろ意味が含まれているようです。

 

 

つまり、令和の典拠となったと言われている万葉集の梅花の宴のさらにもとになったのは蘭亭集序。ここには、時の政権を批判する、「こんな政権にまかせてはいられない」という意味が含まれているらしく、安倍政権への皮肉にもなっているんだ、というのが上のツイートの話です。

 

俗には、安倍晋三は皇室に対し、安倍の「安」がはいった元号を了承してもらおうとしたが、皇室から拒否された、これ以上腐敗した安倍政権に日本をぐちゃぐちゃにさせられない、という意思があった。それを受け、次点候補群から「令和」にした、と言われています(嘘か本当か?)。

 

 

令和を発案した人(中西進氏と言われています)は、裏にこういう意味をこめた、それを安倍首相、彼の取り巻きは気づかず・・・。

ま、事の真相はそのままにしておきましょう。

 

いずれにしても、令和は「元号初の日本文学からの由来」と日本初、史上初ばかりをやりたくてしょうがない安倍さんは喜んでいる場合じゃありません。

 

 

4.結局言いたかったこと

 

私は、安倍政権を批判したいし、安倍さんは「国民が積極的に政治、選挙に関心を持たなければマズイことになる」ということを国民に意識させたという意味で非常に貢献した人物だと評価もしたいのですが。

太宰府の近くに住んでいて、たまたま高校の授業で記憶に残っていた王羲之、蘭亭序の展示が九州国立博物館で開催されると聞いて本能的に観に行ったわたしの発想は、どこかでつながっていたのかもしれません。

 

いやいや、言いたかったのは、安倍さんがどうのこうの、というより、冒頭にかかげた大宰府政庁跡の風景です。

政庁跡を見たとき、政庁跡から街を見たとき、そこに広がる風景が1000年以上前の日本が思い浮かび、わたしの緑と青空がココロを清々しいものにさせてくれたってことです。

 

 

大宰府政庁跡の近くにある大宰府展示館には、令和の典拠となった万葉集(写本ですが)が展示されています。

万葉集(写本)梅花の歌三十二首序文

梅花の歌三十二首序文

 

大宰府政庁跡、そして大宰府展示館に足を運んでいいただき、昔の日本、そしてこれからの日本に想いを馳せ、令和の新時代を迎えてみませんか。

 

【補足】

上記の記事の、万葉集、梅花の歌の表記や解釈は、大宰府展示館からもらってきた資料(下の図)をもとにしました。

 

 

 

 

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