最近、若い年代の社員と話をする機会が、以前に比べて増えている。
彼ら彼女らも、ストレスをかかえている。
1.マッサージ師の疲れを癒やすのは誰か
ストレスのことを考えるときに、
ということをいつも考えてしまう。
マッサージ師は、客の筋肉のコリや疲れを癒やしてくれる。
その仕事で疲れたマッサージ師は、同じ店の他のマッサージ師や、あるいは仲のいい別のお店のマッサージ師に癒してもらうのではないだろうか。
じゃあ、最終的にマッサージ師の疲れは誰が癒やすことになるのだろう。
最初のマッサージ師に戻る???
そんな堂々巡りなつまんないことを、いつも考えてしまう。
2.ストレスのはけ口は?
では、ストレスはどうなんだろう。
若手社員のストレスは、彼ら彼女ら(以下、「彼ら」に統一させてもらう)が最初に相談するであろう上司や同僚に相談して、少しでも軽減されるだろう。
ちょっと横道にそれると。
ストレスは、その解決策があるのであればそれを実行すればいい。が、解決策が容易に用意できないことがほとんど。
そんな場合でも、ストレスを抱えている人はそれを誰かに伝えるだけでかなり軽減されるという話がある。
これは、ストレス管理、メンタルヘルスの世界では当たり前の話。
あとの方で出てくる私の元上司は“話す=放す”となり、自分を解き放つ効果があると説いていた
だから、悩んでいるあなた、悩みを聞かされているあなた、その愚痴談義だけでもとても効果があると知りましょう。
若手社員のストレスは、同僚や上司に行き、そこで解消できるならそれで終わり。
しかし、私の経験で、そうは簡単にいかないことがあった。
若手社員から、私に直接相談が届いたことがある。
同僚や上司への相談を飛び越して、総務の私に、年齢で20歳以上離れている私に、である。
この場合、事はそう簡単ではない。
彼らの相談は、上司のハラスメントがストレスの要因というわけではないことも多い。
ハラスメントだけがストレスではないし、他人ではわからないことがストレッサー(ストレスの原因)になっていることもある。
彼ら自身の中にある場合もある。
こんなときはやっかい。
私「今回僕が受けた相談は、あなたの上司に話してもいいですか」
若手社員「黙っておいていただきたいです」
こんな状況、つまり部下が自分の上司に相談できない相談を総務にしてくるとなると、その上司自身にもストレスが生まれることになる。
相談の内容によっては、「黙っておいてくれ」と言われても、物理的なこと自体は伝えないといけない。
たとえば医師の診断書が出て、長期的に休むとなった場合、休むことになる、という話だけは上司に共有する必要がある。
当然ながらそういうとき、その上司には
と悩むことになる。
若手社員のストレスは、私に共有され、軽減されるかもしれないが、新たな上司のストレスを生むことにもなる。
そんなとき、ストレスや健康管理、職制から距離を保つ立場にある人事労務の立場(たとえば私)としては、若手社員はもちろん、上司のストレスも受け止め、少しでも軽減できるように務めなければならない。
そして、安易にしておくと、私にもストレスは生まれる。
はてさて、若手社員、彼らの上司、私のストレスはどこで消化できるのか。
3.「酒場の隅に置いていく」
私は幸い、人事労務としてカウンセリングのスキルを少しは学んでいる経験があり、また自分自身がメンタルヘルス不全を患った経験もある。
さらには、尊敬する上司(彼は早期退職して臨床心理士の仕事をしている)から貴重な薫陶を受けることができたことから、ストレスへの対応、相談を受けたときの自分自身の振る舞いについての自分なりの心得を持って処することができる。
それでも、自分で気づかないうちに、カラダのどこかにはストレスがたまっているであろうことが起きる。
お腹の不調、頭痛、めまい・・・。あるいはその人の持病などが顔を出しやすくなる。
仕事は家庭に持ち込まない主義の私は、妻に愚痴ることも、もちろんしない。
結局は酒を飲みに行く。
遅くなったが、河島英五の歌った「時代おくれ」(作詞:阿久悠)には、
妻には涙を見せないで 子どもに愚痴を聞かせずに
男の嘆きはほろよいで 酒場の隅においていく
という歌詞がある。
4.「時代おくれ」は私のライフワーク
60代と、今の長寿社会からすれば比較的早期の年齢で亡くなった、私の父。
社会人になってから父とは長い時間を持つことができなかった。
田舎の古い社会、厳しい父のもとに育った私は、そんな父の姿が「時代おくれ」に投影される。
彼は、「時代おくれ」そのもののような人物だった。
「時代おくれ」には、いい言葉がたくさん散りばめられている。
しゃべりたいことがたくさんある。
一晩過ごせるだけの酒の肴になりそうだが、ここでは上掲した歌詞のみにふれる。
結局、ストレスの墓場は酒場である。
居酒屋でふとしたことで触れ合った客とは、他ではなかなか共有できない愚痴の言い合いで楽しくなることが多い。
居酒屋の店長・大将は、人生を達観していると感じる風格を持っている人が多い。
あー、やっぱりここがストレスの墓場なのだな。
「酒場」と「墓場」の言葉も似ている。
だからといって、何でもかんでもアルコールに走ってしまうのはよくない。
酒は、程度を超すと多くの害悪を生むものでもある。
適性飲酒が必要だ。
阿久悠も言っている。
「男の嘆きはほろよいで 酒場の隅においていく」
コメント
[…] 駅伝、長距離界の「時代おくれ」と言ってもいい。 […]