人が死んだあと、ブログやSNSのアカウントなどはどうなるのか。
どうすればいいのか。
後始末をどうしたいのかは、そのアカウントの持ち主によって違うだろうし、その手続もブログやらFacebookやらTwitterやら、それぞれのサービスを運営する企業ごとにいろいろのようです。また、
当然ちゃ当然だけど、めんどくさく、また難しい問題でもあります。
このたび、死後のアカウントをどうするのか、を考えなおす機会がありました。
1.ある方がお亡くなりになりました
私が生まれた街にお住まいの、ある人物(Aさんとしておきます)の訃報を知りました。
そのAさんに私が接することになったのは、ネットがきっかけでした。
その街の方言を残そうと私が動き始めた時、同じように方言を記録をされている人物の存在を知りました。その存在がAさんです。
その、Aさんの記録はこちらです。(こちらのサイトの「深海の方言辞書」をクリックください。)
私が残そうと考えていた方言のデータベースは、私(昭和40年代生まれ)が使っている、あるいは覚えているものを基本とするものでしたが、上のサイト「深海魚」の情報は膨大で詳しく、しかも現役時代は教職をされていたAさん(80代)のこと、分析もなされていて、すごい。私のデータが恥ずかしいと感じたのでした。
それでも、Aさんはアドバイスをしてくださったり、深海魚サイトのBBSにて知り合った方々と交流することで、私のあやふやだった方言の情報がまともになり、ネットに出してもいいかな、と思うようになりました。
その頃作った私の方言辞書は、私のミスで消去させてしまいましたが、今残っているのはこちらです。
このサイトでは、その後、街(深海町と言います。Aさんのニックネーム「深海魚」さんの名前も、この町の名前からとられているはずです。)の言葉だけではなく、天草全体まで範囲を広げることにし、Facebookの手も借りて、方言辞書をまとめることを継続しているところです。
2.深海魚サイトはどうなるのか
このたび、深海魚さんの訃報に接しました。
私にとって大切な存在で、残念極まりありません。
そして心配したのが、深海魚サイトです。
このサイトにはBBS(掲示板)がありますが、バイ●グラなどのスパムな広告のコメントが記入されています。そのうち、たくさんのスパム広告で埋め尽くされないだろうか、誰がこれを管理するのだろうか等々、心配になりました。
有用な方言のデータ、BBSでの交流。これらは大事にしたいと思いましたが、どうなるのやら。
その後、BBSを管理されている方がおられることがわかり、ホット一息。
その方によると、以前は数百にのぼる、不要な書き込みがあったらしく、画像認証を入れて減らしたそうな。今後もメンテナンスするし、交流を続けましょう、とその管理人さんは返信してくださいました。
3.Facebookの亡くなった「友だち」に誕生日お祝いメッセージ
別の話。
とあるFacebookの友だち(B子さんとしておきます)が、若くして亡くなりました。
とある会で知り合って、意気投合しまして、これからの交流が楽しみと思っていた矢先のことでした。
その友だちに親しい人たちが、故人の遺志を尊重し、そのままアカウントは残そうということになりました。
それからしばらくたって、その亡くなった友だちの誕生日が到来。
「B子さん、そちらはどうですか。私がそちらに行くのは20年後くらいかな」
「そちら」というのは、亡くなった人が行く「あの世」のことです。このように、亡くなった友だちに向けたとわかるメッセージがある一方、存命だと認識しているであろう誕生日お祝いメッセージも多数並んでます。
“亡くなっても、今私たちとここに一緒にいるつもりでのメッセージ”
と考えられなくもないのですが、いくらひいき目に見てもそうとは思えないほど、無機質な、テンプレでも使ったと思しきメッセージもあります。
あなたたちはどこまで彼女の「友だち」だったんよ?とツッコミを入れたくなる、乾燥したつながりじゃないですか。
4.最後に
んー、SNSのアカウントは、死んじゃったらどうするのがいいのだろう。
答えは1つじゃないと思う。アカウントの持ち主本人それぞれだろうし、その人をかこむ人たちの思いもあるだろう。けれども、いろいろ考えさせられる訃報でした。
コメント