歩きスマホが悪いのか、歩きスマホだけが悪いのか。
タイトルのとおり、歩きスマホだけが悪者ではない、ということを言いたいエントリーです。
このエントリーは、随分前から書こうと思っていました。が、私が伝えたい事をどう書いたらいいのか、そもそも伝えたいことは何かのか、どう書いたら伝わるのか等などがなかなかまとまらず、今に至りました。
歩きスマホが何なのか
まず、「歩きスマホ」がどういうものかを定義しておきます。
- 歩きながらスマホ(スマートフォン)を閲覧、もしくは操作する
- スマホに集中するがあまり、周囲に気が回らず、不安全な行動をする
歩きスマホをどう定義するかで、この後の話をどう読むかが変わってくると思うので、書いておきますね。
歩きスマホに対する私の行動、考え
歩きスマホについてえらそうな話をする前に、私自身がどう行動しているかを先に書かなきゃね。
- 歩きながらスマホを閲覧、操作することはしない
- スマホを手に持ったまま歩くが、閲覧・操作はしない
私は不器用なので、歩きながらスマホを閲覧・操作するなんて離れ業はできません。
たとえば、パソコンで「ありがとうございました」という文章を書いていたとする。そこへ同僚が退社する、普通は「お疲れ様でした」と声をかけるところ、「ありがと・・。おつかれっす」と声をかける始末。すぐにしゃべるべき言葉が浮かばなかったりする。キーボードで書いている文章と、声をかける内容の区別と言動がコントロールできないのですよ。(アインシュタインは、歩きながらガムを噛むことができなかったらしいですね。)
それくらいに不器用なので、歩きながらスマホの閲覧・操作は実際のところ難しいんです。不安全なことはもちろん、私自身のそういう事情もあって、歩きスマホはしません。
歩きスマホは危険です。他人に迷惑をかけます。が、私が言いたいのは、歩きスマホ以外にも悪いやつがいる、ということです。
1.歩きガラケー
わざわざ言うまでもないのですが、「歩きスマホ」が悪者で、「歩きガラケー」が悪くないはずがない。それでも、歩きスマホだけが強調されているような気がする。実際、危なっかしい歩きガラケーもよく見かける。さらには、「歩きタブレット」も良くない。
過去にはこんな記事があったのですね。
不当なスマホ批判
2.歩き読書
歩き読書はスマホ、いや携帯電話の登場以前から存在する。あの人たちも、歩きスマホと同等に危ない。
主観的かもしれないが、歩き読書の方が、より読書に集中していて、周囲に気が回らない状況になっている気がします。視線を向けているのは文字だけ(あるいは図など)だが、文章が書こうとしている世界をイメージしたり行間を読んだりと、頭のなかは非常に読書に集中しているんじゃないんでしょうか。
3.自転車が群衆の真ん中を走る
交差点を行き来する人の中には歩きスマホがいます。あれは危ない。
でももっと危ないのは、歩く人たちの真ん中を、未熟そうな操作で自転車で通り抜けようとする人たち。目立つのは、おばさん、友だち同士しゃべりながらの高校生たち。
もし歩きスマホと自転車がぶつかった場合、どちらが原因かと言われると、甲乙つけがたいと思う。(保険の過失割合で言うなら、自転車の割合の方が高くなるだろうけど)
自転車なら端っこを走りなさい。自転車で走りながら友だち同士としゃべるのは交差点じゃない、安全なところでやりなさい。
4.交差点でわざと立ち止まるおっさん
ある意味、いちばん質が悪いと思うのは、歩きスマホがいた時に、その正面に立ってわざと動かないおっさん(おっさんだけじゃないけど)。
「おい、歩きスマホ、あぶねえぞ。お前がよけないかぎり、俺はよけないからな」的な感じで、どこうとしません。そういう風景をよく見かけます。
実際、話を聞きました。「歩きスマホがいたら、私はわざと動かない。」その人の名誉のために詳しくはいいませんが、私にちかしい人物です。その人物(女性)が言うくらいだから、相当な割合でいると思います。
そんな時は、歩きスマホ側に同情します。もちろん、歩きスマホが認められるわけじゃないけどね。
まとめ
歩きスマホだけを悪者にするなよ。歩きスマホが危ない、という状況と似たような不安全な行動はいくらでもある。
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