Twitterとはなんだろうか

2011年2月4日

Twitterとは、オレにとってなんだろうか。

フォローが1,000人を超えたが、その前後で改めて、Twitterとは何なのかを考えるようになった。
フォロワー(自分のつぶやきを聞こうとしている人)は自分の手ではどうにもならないので置いとくとして、フォローとはどういうことか。

 

自分から能動的に、誰か(正確にはアカウント)を求め、フォローする。
リアルな世界を想定すれば、同じ電車に乗り合わせた、見ず知らずの乗客たちのおしゃべりに耳を傾けようとするアクションか。(乗客は一人ではしゃべらないだろうから)
基本、ツイッターでアカウントを取得し、つぶやいている人(正確にはアカウント。あー、ややこしい)は、自分のつぶやきが他人に聞かれてもいい、というスタンスに立っている。そこはリアルと違うところだ。
(電車でおしゃべりしている乗客たちの会話を、耳をそばだてて聴こうとする行動は、普通はいやがられるが。)

 

では、それを、100人、1,000人と増やしていこうとするアクションはどういう意味をもつのか。
より多くの乗客たちの会話を聴きに行こうとすることか、うーん、どうも違うな。
A.政治家が、街に出て有権者たちの声を聴こうとすることか。
B.財、サービスを提供しようとする企業が、消費者の声を聴こうとするアクションか。

 

A,Bどちらも、主体(主語)がそうならそうだろう。
ただ、普通の(オレみたいな)小市民なら、チト違う。
フォローすれば、ある程度フォローしてもらえる、という期待が前提にあるということもあるだろう。
オレはそうだし、多くのツイッター利用者もそうだろう。

 

だとすれば、自分の言いたいことを聴いて欲しい、ということになる。
うーん、生ビール大ジョッキ3杯目を飲みながら考えているが、わからなくなってきた。

 

 

  • 顔の見えない誰かの話をこっそり聴きだしたい、
  • 誰とは特定しない、とにかく誰かに自分の話を聴いて欲しい、そんな集合体かな。

 

 

と、ややこしくなってきたので、早めにまとめにはいることにして、今日のつぶやきは終わりにしよう。
続きを書いてみたいが、モチベーションが維持、あるいは復活するかな。
とりあえず、次に続けようという想いを残しておくために。
ツイッターは、ライフログという機能、というか性質を有していると思う。それを、今度のテーマにするか。